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位置情報&記事一覧

雑記
01 /01 2030
⚫︎ブログ掲載古墳位置情報(Google MAPで開きます。データがかなり多いのでご注意を)
茨城県/栃木県/群馬県/埼玉県/千葉県/東京都/神奈川県
山梨県/長野県/静岡県
大阪府/兵庫県/奈良県
→現存。→消滅。→現状確認不可。
※「○○古墳群1」のような表記がされているものは、全て私が勝手に命名した仮称となります。

⚫︎ブログ掲載古墳一覧表
神奈川県
※消滅古墳は除く
※☆は古墳巡りで訪れる上での推奨度を独断と偏見で表したものであり、考古学的な価値や古墳そのもののランク付けをしたものではありません。


【古墳探訪マップ】2018年12月13日現在。
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ムネサカ2号墳/15C-0070/15C-0071【奈良県桜井市】

奈良県 桜井市
02 /20 2019
⚫︎ムネサカ2号墳

ムネサカ2号墳は粟原谷を見下ろす丘陵上、ムネサカ古墳群に属する径23m、高さ5mの円墳です。すぐ東に存在するムネサカ1号墳と並んで、辿り着くのが難しい古墳と知られていますので、桜井市観光協会主催のツアーに参加させていただき探訪。

全長10mほどの横穴式石室が開口していますが、羨道部はほとんど埋没しているようです。現在の開口部の目の前には石室のものと思わしき石材が露出しています。

現在の開口部は土砂の流入のために高さ0.6mほどとやや狭くなっています。

玄室内を撮影。奥壁側の高さも現状1.2mほどと狭いですが、東に存在するムネサカ1号墳と同じく花崗岩の切石を二段に積んで築かれています。

奥壁側から開口部を撮影。築造年代はムネサカ1号墳と同じく7世紀中頃ですが、1号墳よりやや早くに築かれたものと考えられます。

⚫︎15C-0070

こちらはムネサカ古墳群の750mほど南西、越塚古墳と同じ尾根上に存在している径10m以上の円墳です。ネットの張られた畑の中に残されていたので接近はできませんでしたが、横穴式石室が開口しています。

⚫︎15C-0071

こちらは15C-0070の北側に存在している径10m以上の円墳です。こちらも接近できませんでしたが、やはり横穴式石室が開口しています。「奈良の名所・古跡」(https://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/a541bd14101d523a433c3b282b4ed7db)では下り尾四ツ辻古墳(仮)として紹介されています。この時点ではネットが貼られておらず接近できたようで、石室内の画像も掲載されています。

○探訪日 2018.12
○参考資料
「桜井の横穴式石室を訪ねて」桜井市埋蔵文化財センター
「桜井の古墳探訪シリーズ③ 粟原周辺の古墳探訪」一般社団法人桜井市観光協会
奈良県遺跡地図Web

ムネサカ1号墳【奈良県桜井市】

奈良県 桜井市
02 /19 2019
⚫︎ムネサカ1号墳

ムネサカ1号墳は粟原谷に面した丘陵上、ムネサカ古墳群に属する径45m、高さ8mの円墳です。西側にはムネサカ2号墳も存在しており、上の画像はその2号墳墳頂から1号墳の墳丘を撮影したものとなります。

辿り着くのが非常に困難なことで知られる当古墳ですが、この日は桜井市観光協会主催のツアー「大和桜井の古墳探訪 粟原編」に参加させていただきました。主体部は横穴式石室で、全長17m以上の巨大な石室が山林内にひっそり開口しています。

羨道部の途中から玄室を撮影。羨道部は全長12.5m、幅1.96m。

玄室内を撮影。長さ4.6m、幅2.5~2.64mで、奥壁も側壁もそれぞれ花崗岩の切石を二段に積んで築かれています。

玄室の床面には敷石も残存しています。敷石は石室中央が高く、側壁に近づくに従って低くなっているので、排水施設との関連も想定できるそうです。敷石に紛れて凝灰岩片も確認されており(画像中央少し上の丸っこい石)、かつて納められていた石棺の一部と考えられます。

側壁と天井石の隙間には漆喰が良好に残っています。

奥壁から振り返って羨道側を撮影。

玄室から羨道部。石室は明日香村の岩屋山古墳と非常に似た造りとなっており、同じ設計図を用いて築かれた可能性もあるそうです。築造年代は7世紀中頃。

○探訪日 2018.12
○参考資料
「桜井の横穴式石室を訪ねて」桜井市埋蔵文化財センター
「桜井の古墳探訪シリーズ③ 粟原周辺の古墳探訪」一般社団法人桜井市観光協会

花山東塚古墳【奈良県桜井市】

奈良県 桜井市
02 /18 2019
⚫︎花山東塚古墳

花山東塚古墳は粟原谷に面した尾根上に築かれた径17m、高さ3.5mの円墳です。横穴式石室の羨道部はすでに破壊されていますが、玄室は良好に残っており、入室も可能です。

説明板。

玄室内部を撮影。現状では長さ3.1m、幅1.5m、高さ1.2mほどの規模ですが、土砂の流入が著しく、築造当時の高さは分かりません。

右側壁。奥壁および側壁は榛原石をレンガ状に積み上げ漆喰で塗り固めた磚積の技術が用いられています。磚積は当古墳周辺の限られた地域、および朝鮮半島で見られる形態で、被葬者も渡来人系であると考えられているそうです。

左側壁。

奥壁側から開口部側を撮影。古くから開口していたため副葬品は知られていませんが、石室の形態から7世紀後半の築造と考えられます。当古墳のすぐ西には花山西塚古墳も存在しており、それと合わせて双墓であると考えられるそうです。

○探訪日 2018.12
○参考資料
「桜井の横穴式石室を訪ねて」桜井市埋蔵文化財センター
「桜井の古墳探訪シリーズ③ 粟原周辺の古墳探訪」一般社団法人桜井市観光協会

花山西塚古墳【奈良県桜井市】

奈良県 桜井市
02 /17 2019
⚫︎花山西塚古墳

2018年12月2日、桜井市観光協会の主催で「大和桜井の古墳探訪 粟原編」が行われました。ツアーは単独行動ができなかったり、大人数のためうまく写真を撮れなかったりと難点もあるのですが、花山西塚古墳、東塚古墳、ムネサカ古墳群といった辿り着くのが困難な古墳を中心に案内していただけるツアーでしたので、参加させていただきました。
花山西塚古墳は粟原谷に面した尾根上に築かれた径16mの円墳です。山林の中に横口式石槨が開口しており、上の画像はそれを正面から撮影したものとなります。石槨を保護する目的で開口部には鉄柵が設けられており、真上の扉から飛び降りて入る必要がありますが、この日は脚立が用意されました。

横口式石槨は現存長さ3.7m、幅1.1mの羨道部、長さ2.2m、幅1.3m、高さ1.7mの玄室、および長さ1.9m、幅0.7m、高さ0.9mの奥室(石槨)からなっています。

玄室から奥室を撮影。奥室は石扉で閉塞されていたと考えられており、それを示す軸穴も確認されています。

現在玄室内にはその石扉が倒れた状態で置かれています。何らかの形で持ち出された末に小学校で靴脱ぎ石として利用されていたそうですが、その後当古墳の石扉であることが確認されて再び戻されました。

奥室内部を撮影。奥壁は切石、天井石は平石を用いていますが、側壁は榛原石をレンガ状に加工して漆喰で塗り固めた磚積の技術が用いられています。

こちらの画像は右側壁の上側から撮影したもので、右が玄室、左が羨道部です。

反対側から撮影。磚積式石室は朝鮮半島で見られる形態であり、国内では当古墳周辺のごく一部でしか確認されていません。

玄室から羨道部を撮影。側壁は途中まで垂直に積み上げ、途中から傾斜を付けて築き上げられています。築造年代は7世紀後半。東側には同じく磚積の技術が使われた花山東塚古墳も存在しており、その共通性から双墓であると考えられています。

○探訪日 2018.12
○参考資料
「桜井の横穴式石室を訪ねて」桜井市埋蔵文化財センター
「桜井の古墳探訪シリーズ③ 粟原周辺の古墳探訪」一般社団法人桜井市観光協会

ぺん

趣味で古墳巡りをしている大学生です。有名な古墳はもちろん、こじんまりした古墳も大好きで、暇を見つけては地図を片手にウロウロしています。内容に誤りがございましたらコメントにてお教えください。Twitter→@pen_kofun