訪れた古墳MAP

雑記
01 /01 2030
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茨城県/群馬県/埼玉県/千葉県/東京都/神奈川県/神奈川県(現存のみ)/山梨県/長野県/大阪府/奈良県
※青→現存。黒→消滅。灰→現状確認不可。黄→塚。鶯→消滅した塚。
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垂仁陵陪塚に号-ほ号-へ号【奈良県奈良市】

奈良県
11 /20 2017
⚫︎垂仁陵陪塚に号

当古墳は奈良盆地北側、平城宮跡の南西に位置しています。その名の通り垂仁天皇陵である宝来山古墳の陪塚に治定されており、調査は行われておりません。画像は西側遠方から撮影したもので、画像中央のあたりに古墳は存在しています。

天神社境内から近づいて撮影。東西22m、南北20m、高さ2mの方墳と考えられています。

⚫︎垂仁陵陪塚ほ号

こちらは宝来山古墳のすぐ東側に存在している陪塚です。一辺15m、ほどの方墳とされていますが、削平の影響から高さは1mほどしかありません。

西側から撮影。陵墓の陪塚のため立ち入ることは禁止されていますが、立ち入ろうと思えば簡単に入れてしまいますね...。画像奥の茂みは宝来山古墳です。
なおここで紹介した陪塚に号とほ号は、奈良県遺跡地図webではなぜが場所がズレて表示されています。訪れる際はご注意を。

⚫︎垂仁陵陪塚へ号

こちらは近鉄橿原線尼ヶ辻駅すぐ北西に存在する陪塚です。画像は南側から撮影したもので、画像右奥へ向かって墳丘が延びています。東西7m、南北56m、高さ5mと非常に細長く、奈良県遺跡地図webでも長方形墳であると記されています。

北側から撮影。フェンスがあり分かりにくいですが宅地の庭越しに墳丘を確認することができました。
なお、ここで紹介した3基の他にも宝来山古墳の周囲にはい号ろ号-は号が存在しています。

○探訪日 2016.11/2017.11
○参考資料
「天皇陵総覧」水野正好ほか
奈良県遺跡地図web

メクリ1号墳【奈良県桜井市】

奈良県
11 /19 2017
⚫︎メクリ1号墳

当古墳は三輪山の麓の微高地、巻向駅の目の前に位置しています。周辺には箸墓古墳ホケノ山古墳といった古墳時代初期の古墳も存在しており纒向古墳群として有名です。また、当古墳のすぐ北側からは「卑弥呼の居館」ではないか?として注目を浴びた大型建物跡も確認されています。
上の画像は2016年11月に訪れた時撮影したものです。画像中央に盛り上がりが確認できますがこれは墳丘ではありません。かつてこの広場には纒向小学校が存在したこともあり、墳丘はすでに削平されています。周濠が検出されたことで存在が確認された前方後方墳です。周辺からは銅鏃の出土も確認されていますが、当古墳に伴っていたものかは分かりません。

その後2017年11月11日に纒向遺跡の現地説明会が行われることとなり、ちょうどその週末に奈良へ古墳巡りに来ていたため足を運んでみることにしました。

今回の調査は「纒向遺跡第193次調査」で、纒向遺跡のガイダンス施設の建設予定地の発掘と、昭和61年に行われたメクリ1号墳の周濠の再確認が目的に行われました。昭和61年の発掘調査時には古墳であると認識されておらず、そのために墳丘東側が未検出のままだったようです。

こちらは詳しい測量図。ガイダンス施設予定地の1区(測量図左)からは3基の方形周溝墓の周溝が確認されています。

そしてこちらがメクリ1号墳の存在した2区。ピンクの紐が張られた内側が古墳の範囲です。墳丘の規模は全長28m、後方部長19.2m、前方部長8.8m。その他の場所からは周濠がしっかりと検出されましたが東側は削平が著しく、素人目には判別が難しいです。

分かりにくいので補足。赤い範囲がメクリ1号墳で、見切れていますが画像左側へ向かって前方部が検出されています。青い部分が周濠堆積土と考えられる土の範囲となります。

後方部側から撮影。周濠から出土した土器により築造は3世紀前半から中頃と考えられています。一方1区から検出された方形周溝墓も同時期の築造とされており、「古墳>方形周溝墓>木棺墓」と社会階層を反映した墓が採用されていた可能性も考えられることが確認できています。
今回の調査は纒向遺跡のガイダンス施設建設に伴うものだと述べましたが、今後メクリ1号墳も築造当時の姿に復元する予定もあるようです。
※内容に誤りがございましたら、コメントにてご教示ください。

○探訪日 2016.11/2017.11
○参考資料
「纒向遺跡第193次調査現地説明会資料」桜井市教育委員会
「大和前方後円墳集成」奈良県立橿原考古学研究所
奈良県遺跡地図web

狐塚古墳【東京都世田谷区】

東京都
11 /18 2017
⚫︎狐塚古墳

狐塚古墳は多摩川左岸の台地上に存在している古墳です。径30m(「大田区 古墳ガイドブック」では径40m)、高さ4.6mの円墳とされていますが、造出しの付く帆立貝形古墳の可能性も考えられるようです。現在周辺は宅地となっており、古墳だけが一段高くなった状態で残されています。

階段を昇って墳丘上を撮影。

現地案内板。

墳頂部には狐塚古墳という名称の由来になった稲荷祠が祀られていました。現在は移動されており、その基部や石畳のみが残されています。主体部は不明ながら粘土槨と推定されているようです。

墳丘からは多数の埴輪も検出されており、5世紀後半の築造と考えられているようです。上で帆立貝形古墳の可能性も考えられると述べましたが、開発のために台地が大きく削られてしまった現在となっては確かめようが無いですね...。

○探訪日 2017.10
○参考資料
「大田区 古墳ガイドブック」大田区立郷土博物館
現地案内板

御岳山古墳-八幡塚古墳【東京都世田谷区】

東京都
11 /17 2017
⚫︎御岳山古墳

当古墳は多摩川左岸の台地先端部に位置している帆立貝形古墳です。全長57m、後円部径40m、高さ7mで画像では右側に前方部が存在していました。

当古墳は周囲から墳丘を見学することは可能ですが(もっとも訪れた時は草木が茂っておりよく分かりませんでしたが)、柵が設けられており墳丘に上がることはできなくなっています。

現地案内板。主体部は粘土槨と考えられており、かつて主体部から七鈴鏡、短甲、直刀が出土しているそうです。築造年代は5世紀後半から6世紀中頃と考えられています。

⚫︎八幡塚古墳

八幡塚古墳は御岳山古墳と同じ台地上に存在している帆立貝形古墳です。画像は宇佐神社を撮影したもので、本殿裏の森の中に古墳は存在しています。

墳丘東側の駐車場から撮影。墳丘に立ち入ることはできません。径30m、高さ4.5mの規模があり、昭和元年前後に開墾が行われた際に直刀2、やりがんな1、石製模造品22、袴帯金具2が見つかっています。築造は5世紀後半と考えられています。

○探訪日 2017.10
○参考資料
「大田区 古墳ガイドブック」大田区立郷土博物館
現地案内板

ぺん

趣味で古墳巡りをしている大学生です。有名な古墳はもちろん、こじんまりした古墳も大好きで、暇を見つけては地図を片手にウロウロしています。内容に誤りがございましたらコメントにてお教えください。Twitter→@pen_kofun