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古墳位置情報

雑記
01 /01 2030
訪れた古墳をGoogle MAPに追加しています。
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→現存。→消滅。→現状確認不可。
※「○○古墳群1」のような表記がされているものは、全て私が勝手に命名した仮称となります。

【古墳探訪マップ】2018年9月10日現在。
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郡家車塚古墳-前塚古墳-闘鶏山古墳【大阪府高槻市】

大阪府 高槻市
12 /10 2018
⚫︎郡家車塚古墳

郡家車塚古墳は淀川右岸の台地上に存在している全長85.6m、後円部径51.3m、高さ7.4m、前方部幅31.8m、高さ3.8mの前方後円墳です。上の画像は前方部脇から後円部を撮影したもので、水田との境界には前方後円墳特有の美しい曲線が残されています。

前方部正面から撮影。前方部の上までは上がることができますが、台風による倒木が多かったためか、後円部へは立ち入り禁止となっていました。後円部からは2基の粘土槨(1基は木棺直葬の可能性もあり)検出されており、四獣鏡、玉類、漆塗縦櫛などが出土。

南側からパノラマで撮影。右が後円部で左が前方部となります。築造年代は4世紀末頃。

⚫︎前塚古墳

前塚古墳は郡家車塚古墳の南西に存在する全長94m、後円部径69m、前方部幅25mの帆立貝式前方後円墳です。

西側から撮影。前方部は手前の水田に伸びていましたが、こちらは既に消滅。現在後円部の半分ほどが駐車場として利用されていますが、明治時代にはここから長持式石棺が露出し、仿製鏡、鉄刀、鉄鉾などが出土したそうです。
築造年代は5世紀初頭。なお、すぐ南東には全長190mの今城塚古墳が存在しています。

⚫︎闘鶏山古墳

闘鶏山古墳は前塚古墳より西側の丘陵上に存在している全長86.4mの前方後円墳です。平成14年の調査で未盗掘の竪穴式石室2基が見つかったことで有名になりましたが、現在立ち入り禁止で、遠くから見上げるしかありません。画像左の緩やかな高まりが後円部で、右に向けて前方部が伸びています。

闘鶏野神社の説明板。石室内のファイバースコープを用いた調査により、三角縁神獣鏡2、方形規矩四獣鏡1、鍬形石などの副葬品のほか、朱の付着した頭蓋骨も見つかっています。築造年代は4世紀前半。

○探訪日 2018.10
○参考資料
「高槻市文化財調査概要XX 嶋上遺跡群18(PDF)」高槻市教育委員会・高槻市立埋蔵文化財調査センター
「高槻市文化財調査概要XXⅰ 嶋上遺跡群19(PDF)」高槻市教育委員会・高槻市立埋蔵文化財調査センター
「高槻市文化財調査概要XXⅡ 嶋上遺跡群20(PDF)」高槻市教育委員会・高槻市立埋蔵文化財調査センター
「嶋上郡衙跡他関連遺跡発掘調査概要13」高槻市教育委員会社会教育部社会教育課・高槻市立埋蔵文化財調査センター
「闘鶏山古墳 第1次調査概要報告書」高槻市教育委員会

殿岡神社古墳【大阪府高槻市】

大阪府 高槻市
12 /09 2018
⚫︎殿岡神社古墳

殿岡神社古墳は女瀬川左岸の台地上、殿岡神社境内に存在している古墳です。社殿によって墳丘西側は大きく削られており、墳形や築造当時の規模は不明です。

主体部は横穴式石室で、柵が設置されているため入ることこそできませんが、良好に残っているようです。羨道部の前半分は破壊されており、周囲に石材らしき石が置かれています。

柵の隙間からカメラを差し込んで撮影。内部は思ったより広そうです。

こちらは裏手から墳丘に上がらせていただいて墳頂部を撮影したもの。木の根元に天井石が露出しており、若干の隙間が空いています。

隙間からカメラを差し込んで開口部側を撮影。手前の石材にピントが合ってしまい奥がボヤけてしまいましたが、両袖式でしょうか?

殿岡神社社殿背後から撮影。こちら側半分は保存状態が良く、周溝も残っているように思えました。築造年代は6世紀後半と考えられています。

⚫︎古墳?

こちらは殿岡神社古墳の道路を挟んだすぐ南に存在している大神宮を撮影したものです。
ホームページ「北村さんちの遺跡めぐり」にて古墳では?と紹介されていたので訪れてみました。手元の資料ではこちらを古墳とする記述はありませんが、周囲より若干高くなった境内が弧を描いて保存されているため、たしかに古墳の名残りのようにも思えます。

○探訪日 2018.10
○参考資料
「高槻市史 第6巻 考古編」高槻市史編さん委員会
広報たかつきNo.1344(PDF)

塚穴4a号墳-弁天山古墳【大阪府高槻市】

大阪府 高槻市
12 /08 2018
⚫︎塚穴4a号墳

塚穴古墳群は、芥川右岸の台地上に存在している5基からなる古墳群です。道路造成にともなって昭和62年に調査が行われ、全5基とも消滅してしまいましたが、そのうちの4a号墳の石室が道路脇に移築保存されています。
塚穴4号墳からは2基の横穴式石室が並んで出土し、当初は径26×17m、高さ3mの長方形墳と考えられていました。しかし調査を進めるに従い、1基の石室を主体とする古墳(塚穴4a号墳。径15m、高さ3m以上の円墳)が先に築かれ、後から継ぎ足す形でもう1基の石室が築かれた(塚穴4b号墳)ことが判明しています。
上の画像は開口部側から撮影したものです。側壁が不自然に大きいですが、発掘時の画像を見る限りでは確認できないため、移築後に側壁が崩れないよう置かれたものだと思います。

開口部から羨道部や奥壁側を撮影。横穴式石室は全長7.3mの左片袖式で、羨道部長さ4.5m、幅0.9m。

羨道部から玄室を撮影。玄室は長さ2.8m、幅2.1m。奥壁や右側壁(画像左)に見られる茶褐色は、築造時に塗られたベンガラです。

奥壁側から開口部。袖部が広めに築かれているのが分かります。副葬品としては須恵器のほか轡、金環、鉄鏃片が出土。築造年代は6世紀中頃から6世紀後半。

⚫︎弁天山古墳(弁天山B1号墳)

弁天山古墳群は芥川右岸の丘陵上に存在する、10数基からなる古墳群です。宅地造成でほとんどが消滅していますが、そのうちの弁天山古墳は上水道施設内に現存しています。残念ながら立ち入り禁止なので、丘陵の下から見上げるほかありません。上の画像では階段を上がったあたりが前方部で、左奥に後円部があるようです。

弁天山古墳は全長100m、後円部径70m、高さ12m、前方部幅50m、高さ7m。後円部南側に造出しのような施設が確認されていますが、埴輪や土器は見つかっていません。築造年代は3世紀末。

○探訪日 2018.10
○参考資料
「高槻市文化財調査報告書第16冊 塚穴古墳群」高槻市教育委員会
前方後円墳データベース

塚脇D1号墳-移築石室-梶原D1号墳【大阪府高槻市】

大阪府 高槻市
12 /07 2018
⚫︎塚脇D1号墳

塚脇D1号墳は芥川左岸の台地上、塚脇古墳群に属する一辺5mの方墳です。古墳自体は調査後削平されていますが、その石室が高槻市埋蔵文化財調査センターの庭先に移築保存されています。

説明板。築造年代は7世紀前半、古墳群中でも最も後の時代に築かれた古墳に当たります。

⚫︎塚脇古墳群移築石室

こちらも高槻市埋蔵文化財調査センターの庭先に移築保存されている塚脇古墳群の石室です。ネット上で調べると当古墳を取り上げているホームページやブログは結構ヒットしますが、肝心の何号墳であるのかが分かりません。手元の資料でも一切触れられていません。

説明板。昭和52年に移築された7世紀初頭の古墳との説明がありますが、横穴式石室がどのようなものかの解説が中心。

横穴式石室は幅が狭いのに対して高さがかなりあるのが特徴的です。側壁には若干の持ち送りも確認できます。

奥壁側から開口部。両袖式の横穴式石室のようです。

⚫︎梶原D-1号墳石棺

梶原D1号墳は淀川右岸の山裾、梶原古墳群に属する径25mの円墳です。名神高速道路建設にともない平成3~5年に調査が行われ、現在その家形石棺が高槻市埋蔵文化財調査センター内の展示室に保存されています。

○探訪日 2018.10
○参考資料
説明板

ぺん

趣味で古墳巡りをしている大学生です。有名な古墳はもちろん、こじんまりした古墳も大好きで、暇を見つけては地図を片手にウロウロしています。内容に誤りがございましたらコメントにてお教えください。Twitter→@pen_kofun