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位置情報&記事一覧

雑記
01 /01 2030
⚫︎ブログ掲載古墳位置情報(Google MAPで開きます。データがかなり多いのでご注意を)
茨城県/栃木県/群馬県/埼玉県/千葉県/東京都/神奈川県
山梨県/長野県/静岡県/愛知県
大阪府/兵庫県/奈良県
→現存。→消滅。→現状確認不可。
※「○○古墳群1」のような表記がされているものは、全て私が勝手に命名した仮称となります。

⚫︎ブログ掲載古墳一覧表
埼玉県/千葉県/東京都/神奈川県
※消滅古墳は除く
※☆は古墳巡りで訪れる上での推奨度を独断と偏見で表したものであり、考古学的な価値や古墳そのもののランク付けをしたものではありません。


【古墳探訪マップ】2019年9月現在
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大久手3号墳-5号墳-西大久手古墳【愛知県名古屋市】

愛知県 名古屋市
11 /13 2019
⚫︎大久手5号墳

大久手5号墳は庄内川左岸の台地上、志段味古墳群に属する全長38mの帆立貝式古墳です。上の画像では左奥が後円部で右手前が前方部ですが、画像奥には大久手池の堤防が築かれており、当古墳も半分以上がこれに取り込まれています。

名古屋市教育委員会による説明板。出土した埴輪片から、5世紀後半に築かれたものと考えられています。

堤防の上から撮影。画像右奥が後円部で左手前が前方部。いつからこの状態なのかは不明ですが、明治時代の地籍図ではすでに堤防に取り込まれた状態となっており、かなり古い時点で堤防に取り込まれたもののようです。

⚫︎西大久手古墳

西大久手古墳は大久手5号墳の西側に存在する全長37m、後円部径26m、高さ13mの帆立貝式古墳です。大きく削平されていますが、かろうじて平たい墳丘が残存しています。上の画像では左奥が後円部で右が前方部。

名古屋市教育委員会による説明板。築造年代は5世紀中頃、志段味古墳群中では最も古い帆立貝式古墳です。

こちらの画像では中央が後円部で右奥が前方部。なお2019年には発掘調査が行われ、11月10日には現地説明会が行われています。

⚫︎大久手3号墳

大久手3号墳は西大久手古墳の西側に存在する一辺14mの方墳です。多くの古墳が存在する志段味古墳群においては、確認されている唯一の方墳となります。

名古屋市教育委員会による説明板。埴輪は確認されていませんが、出土した須恵器から5世紀後半の築造と考えられています。

○2019.04撮影
○参考資料
「新修名古屋市史 資料編考古」名古屋市
説明板

大塚2号墳-3号墳-東大久手古墳【愛知県名古屋市】

愛知県 名古屋市
11 /12 2019
⚫︎大塚2号墳

大塚2号墳は庄内川左岸の台地上、志段味古墳群に属する古墳です。後世の改変が著しく本来の規模は不明ですが、径10mほどの円墳であったと考えられます。

名古屋市教育委員会による説明板。発掘調査により主体部は木棺直葬であることが判明しています。

志段味大塚古墳や東大久手古墳といった周囲の古墳とともに整備されていますが、墳丘東半分は一段高い道路となっており埋もれています。築造年代は5世期末から6世紀初頭。

⚫︎大塚3号墳

こちらは大塚2号墳(画像右奥)のすぐ西側に存在する径19mの円墳です。後世に削平を受けてひとまわり小さくなっていますが、かつては画像左端辺りまで墳丘だったようです。

名古屋市教育委員会による説明板。葺石や埴輪が確認できないため詳細は分かりませんが、5世紀後半の築造と考えられています。

⚫︎東大久手古墳

東大久手古墳は大塚3号墳の南側に位置する帆立貝式古墳です。上の画像では木に覆われた高まりが後円部、前方部はほぼ削平されていますが、画像左手前にかけてわずかな高まりとして残っています。

名古屋市教育委員会による説明板。規模は全長38m、後円部径26m、前方部幅15mで、埴輪や須恵器が出土しています。

残存している後円部を撮影。後円部の中心をはじめとして大きく改変を受けています。築造年代は5世期末。

○2019.04撮影
○参考資料
「新修名古屋市史 資料編考古」名古屋市
前方後円墳データベース
説明板

志段味大塚古墳【愛知県名古屋市】

愛知県 名古屋市
11 /11 2019
⚫︎志段味大塚古墳

志段味大塚古墳は庄内川左岸の台地上、志段味古墳群に属する全長51m、後円部径39m、高さ6.7~7.0m、前方部幅20m、高さ1.4~1.9mの帆立貝式古墳です。上の画像では左奥が後円部で右手前が前方部。

名古屋市教育委員会による説明板。墳丘は2017年3月に築造当時の姿に復元されており、古墳学習の場となっています。なお2019年4月探訪時は「しだみ古墳群ミュージアム しだみゅー」がオープンして間もない時期だったため、多くの人が古墳見学に訪れていました。

墳丘を横から撮影。左が後円部で右が前方部。前方部の高さと後円部1段目の高さはほぼ同じなので、この場所からだと広い基壇の上に後円部が乗っているように見えます。

こちらは埴輪列に関する説明板。

主体部は木棺直葬で、2基が平行して納められていたようです。画像中央に復元されている第2主体部は2008年の調査で見つかったもので、漆塗革盾と緊結金具が出土。
画像右奥の第1主体部は大正12年に発掘されたもので、五鈴鏡、馬具、衝角付冑、小札甲、帯金具、大刀、鉄鏃が出土しています。

主体部に関する説明板。

後円部墳頂から前方部側を撮影。画像右のくびれ部には造出しが設けられています。

後円部1段目から前方部および造出しを撮影。造出しでは祭祀がおこなわれたようで、埴輪列の内側から鶏形埴輪、水鳥形埴輪、須恵器はそう、土師質土器が出土しています。

造出しに関する説明板。古墳の築造年代は5世紀後半に位置付けられています。

○2019.04撮影
○参考資料
「新修名古屋市史 資料編考古」名古屋市
「史跡志段味古墳群管理保存計画」名古屋市教育委員会
説明板

白鳥塚古墳【愛知県名古屋市】

愛知県 名古屋市
11 /10 2019
⚫︎白鳥塚古墳

白鳥塚古墳は庄内川左岸の台地上、志段味古墳群に属する全長115m、後円部径75m、高さ15.2m、前方部高さ6.7mの前方後円墳です。上の画像では右奥が後円部で左手前が前方部。

名古屋市教育委員会による説明板。全長115mは志段味古墳群中最大であるのみならず、愛知県内でも名古屋市断夫山古墳、犬山市青塚古墳に次ぐ3番目の大きさです。

こちらの画像では中央の高まりが後円部で右手前に向かって前方部が存在しています。分かりにくいものの、画像左端に後円部から伸びる形の渡土手も確認できます。そのほかくびれ部の辺りには築造当時の姿を再現した葺石も復元されています。

後円部脇から左奥の前方部を撮影。

前方部に上がらせていただき後円部側を撮影。後円部が高さがあるのに対して前方部は低く、両者の比高差は8mにもなります。

後円部墳頂から前方部。前方部先端は川が流れているため築造当時の詳細な形状は分かりませんが、前方部が長くあまり広がらない特徴が奈良県行燈山古墳に類似しています。

主体部に関する説明板。昭和初期に墳丘が掘られましたが何も見つからなかったそうですが、その後のレーダー調査で南北に主軸を取る2基の主体部が並んで築かれている可能性が指摘されています。
墳丘の形態や埴輪が確認されない点などから、4世紀前半に築造されたものと考えられています。

後円部墳頂。敷かれた白い砂利のようなものは石英の割石です。築造当時後円部に石英が敷き詰められていたほか、墳丘を覆う葺石の上にも散りばめられていたようです。かつては墳丘全体が白く輝いていたのかもしれません...。

○2019.04撮影
○参考資料
「新修名古屋市史 資料編考古」名古屋市
説明板

ぺん

神奈川在住の20代男。関東を中心に、有名な古墳からこじんまりした古墳まで訪れています。Twitter、Instagram→@pen_kofun
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